いま、ここ、わたし

ありのまま、そのままのあなたが、完璧。

【世間体を気にしなくなるには】

何かを始めるとき、「まわりの目が気になってできない」ってよく言うけど

気になるからできないじゃなくて

やってみると、気にならなくなる、だと思う

逆だよ~



まずは、自分の好きと嫌いを徹底的に信仰する。

あなたの好きなお母さんの言いつけや、先生の教えよりも、上位にしてみよう。

そんなふうにして生きてると、あれ、なんかやってみたいな~ってものが出てくる

そうしたら、やってみちゃう。



人の目は、気になるよ?

でも、気にしながらも、やっちゃう。

気にしながらでいい、やってみることが大事。



すぐにやめてもいい。

というか、楽しくてやめられない、くらいでなければ続けなくていい。



そうして残った一粒のダイヤモンドが、あなたをキラキラさせてくれるはずだから。

【10㎏痩せダイエット】もんで痩せない身体はない!


あなたは自分の身体をもんだことがあるだろうか??

わたしが「身体を細くする」のに一番効果があったと思っているのが、「身体をもむこと」である

簡単でお金もかからない。
運動とちがって苦しいこともないので一度はまるとマッサージなしには眠れなくなること請け合いである。


やり方


できればお風呂上がりが望ましい。

足痩せしたいのであれば、パンツのままかショートパンツをはき、ボディクリームを用意する。

これは何でもよいが、わたしがおすすめするのはボディバターである。
あまりたくさんつけなくてもよいし減りも遅いので、多少高いものを買っても問題ない。
おまけにいい匂いがして保湿もできるのでぜひお気に入りを見つけてほしい。

まず足裏にクリームをつけ、人差し指を鍵状にして足の裏をグリグリしよう。

足裏はどこを押してもツボなので、とにかく気持ちいいところを見つけてひたすらグリグリしよう。

次に膝裏。
膝裏に親指か、人差し指か、やり易い指でグリグリしよう。
ごりごりするものがわかると思う。ひたすらそこをほぐすつもりでがんばってほしい。

ここまできたら、ふくらはぎに入る。
まず、もんでみてほしい。痛かったら、無理はしないでほしいが、できるのであれば、親指とその他四本の指でぐっと肉をつかみ、親指に力を入れて肉をつぶすように滑らせてみる。

ぶちぶちとした感触があるだろうか??

同じことを太ももと、お尻にやってほしい。

わたしはこれをやりまくった結果、足がふた回り細くなった。
試すか試さないかはあなた次第だ。

おまけで、脇の下。
ここも膝裏と同じようにグリグリしてみよう。

肩まわりが本当に細くなる。

肩まわりというのは顔の印象と同じく、その人の体型の印象を決めてしまう場所なのだという。

ついでに肩こりもよくなるような気がする。



まとめ


最初はもむと痛いかもしれない。
次の日も筋肉痛のように痛くなることもある。

だがあら不思議、続けていると一週間くらいで痛くなくなってくる、そしてもんだところがやわらかくなってくる。

エステなどでよく言われるが、固まった肉は落ちないのだという。柔らかくて揺れる肉は落ちるらしい。

科学的な理屈は抜きにして、わたしの実感値としては十分効果があった。



そして細くなるのと同時に、自分の身体に注目するようになる。

いつもお疲れさま、という気持ちで自分の身体に触れるようにもなってくる。
これで健康に悪いわけがないと個人的には思っている。



ダイエットで疲れもとれ、自分の身体にも感謝できて一石三鳥である。

【自己評価について】あなたは大丈夫!素直になれ!



 「自己評価が低い人は、恋愛がうまくいかない」
という例に賛同してくれる人は多いのではないかと思う。

自己評価が低い人というのは、心の底でそのままの自分には価値がないと思っているので、
価値があることを外側の人に確かめさせるのだ。

女性なら過度に束縛して相手に依存してみたり、
わたしがいないとダメなんだ、を実感したいがためにダメ男やDV男と付き合ったりする。


自分の価値が減ってしまうのが怖くて、失敗するリスクのある恋愛そのものをしないということもある。

恋愛は、勉強と違っていくら努力したところで結果に結びつくとは限らない
相手があることだからだ。いくら好きでも相手が気に入ってくれなければ一貫の終わり。

わたしも大学生くらいまではそうだったが、そもそも拒絶されたりしてプライドが傷つくのが怖くて、恋愛をしないという選択肢を取ってしまう。

いつまでも思春期の少年少女たちのように周りの目線が気になり、恋愛自体はしてみたいのに失敗が怖くてできないというジレンマが彼らをいじけさせてしまう、そしてまたその態度がよい相手を遠ざける悪循環。

あぁ、10代後半の自分に説教したい。





先に目的があって、状況がつくられる



仕事はそこそこできるし見た目もそう悪くないのに、恋愛しない人がいる。

そうみんな遅くまでいる職場ではないのに、毎日日付が変わるまで残る、わざと遅い時間にメールを送る、仕事が忙しすぎて蕁麻疹ができたと自慢する、そして、恋愛なんかしてる暇ないよ~と暗にアピールする。

嫌われる勇気で一躍有名になったアドラー心理学によると、逆なのだそうだ。

目的が先にあって、今の状況がある。

仕事が忙しすぎてそのストレスゆえに蕁麻疹ができた、
ではなく、
仕事が忙しくて恋愛する時間がないという状況を作りたいから、それを証明する現象として、蕁麻疹を起こしたという順番。

そしてさらに根底には、
恋愛して振られて失敗するのは怖いけど、恋愛が出来ない人と思われたくない、
かといって結婚相談所に登録なんかして恋愛に必死になってる人なんていう評価をもらうのも嫌。

バカにされたくない、嫌われたくない、人より優れた人だと思われたい。

という気持ちがあるわけである。

つまり、自分には価値がないと思ってるから、周りからの評価で自分を保っているという冒頭の話になる。




バカもアホも、認めてしまえ



対処法は、自分は自己評価が低いのかもしれないと自覚して、ありのまま認めてしまうこと!


できないならわたしが言ってあげよう。

 

 



バカにされる以前に、バカだし
嫌われる以前に、嫌われてるし
人より完全に劣っていますよ、あなた!
どうせフラれますので、安心してください。

 



…どうでしょう。笑



面白いことに、これをやっていると、「うーん、でもあんなこともあったしこれもできるし、意外と自分にもいいとこあったりするんだよな」って気持ちが出てきたりする。


わたしも、ここに気づいて認めてからは、叩かれることにそれほど敏感ではなくなったし、フラれたり友達に嫌われた過去がなんだかなつかしくて思い出すと勇気がわいてくるほどになった。

そして、勇気がわいてきたら、素直になろう。

好きなら、好きだと伝えてしまおう。

 

ほら、人生は、思ったより短いよ?

 

 

 

【幸せ体質と不幸体質】満員電車を我慢し続けるとどうなる?

  


あなたは幸せ体質だろうか??
不幸体質だろうか??


この質問に果たしてすぐに答えられる人がいるのだろうか。

わたし自身、正直そんなものは考えたことがなかった。

採用面接で
「あなたは運がいい方か?悪い方か?」

という質問をされたときにそなえて

「はい、運がいいと思います」
と口からでまかせを言える心構えがあるくらいである。

しかしどうやら世の中には、幸せ体質と不幸体質なるものが存在するらしいことを先日本田晃一さんのブログで知った。

わたしの目から鱗が落ちたどころか目んたまそのものが飛び出そうになったその記述を紹介しよう。





 不幸を我慢すると不幸体質になる?!


人混みなどのストレスにどうも耐えられなくなってしまったと話したところ、知り合いのセレブ奥様は

「晃ちゃん、それ幸せ体質っていうの。
不幸に耐えられないの。
幸せな人は不幸に我慢できなくなるのよ。
不幸な人は不幸に耐えられるの。
だから耐えちゃ行けないの!」

とアンサーしたそうだ。


これは大逆転のスバラシイ発想だと思った。

わたしも最近疲れやすくて、以前できていた仕事も溜めがちになっていた。

仕事を溜めるのはストレスがかかるもの。
前にもできていたのになあ、急かされたらどうしよう、集中力がなくてイライラする自分にまたイライラする。

「集中力 続く 方法」
を必死にGoogle先生に聞きに行った。

ふむふむ、とにかく仕事を始めてみれば良いらしい。
始めてみたはいいけれど10分でまたブログを書いている自分がいた。

そもそもこの方向自体がそもそも合っていないんだろうとこの奥様の一言で気づいたのである。



 


好きなことしよう。みんなで幸せ体質になろう


作家の千田琢也さんも書いている。

「嫌いなことで成功すると、不幸になる」

嫌いなことも我慢してやればある程度うまくいくが、我慢をし続けないと不安という不幸体質そのものの改善はできないため、幸せにはなれないそうだ。

不幸を我慢させる論理はいくらでもある。

社会人として失格、お給料は我慢料、大人だから、サラリーマンだから、お客様のためだから、みんな頑張ってるから、不況だから…

だから??

だから、我慢するのか、
それでも、自分を信じて不幸体質を脱出するのか。

どうせ選べる道はひとつ、選んだあとに理由を探せばいい。

不幸体質のもの同士でいると、どうしても幸せな人を攻撃したくなってしまう。自分は我慢しているのに、我慢していない人がいると、許せなくなってしまう。

そうして国民全員でお互いに首を絞め合って、誰が得をするのだろうか…?

どうせなら、あなただけでも、幸せになりませんか?


あなたが選ぶのは、どちら?

 

 

 

 

【すべての真ん中っ子たちへ】苦労してきたよね。感受性の豊かな、永遠の思春期

 

わたしは、少子化の現代には珍しい、3人姉弟の真ん中っ子生まれである。

 

 

最近流行りの兄弟別正確診断(五百田達成『不機嫌な長男・長女無責任な末っ子たち』)によると、長子は「責任感が強い永遠の王様」、末子は「ノリとしたたかさで生きるアイドル」、一人っ子は「変わり者でマイペースな帰国子女」、そして真ん中っ子は「複雑で繊細、感受性の強い永遠の思春期」だそうだ。

 

 

血液型占いしかり、こういった類いのものは、書いてあることに対して自分の都合のいいような記憶がひっぱりだされる傾向があるため、

あるある~と思うのは当たり前なのかもしれない。

 

 

まあそれを承知で、話半分で読んでほしい。

  

 

 

 努力家で器用貧乏、悲しき子供時代

  

 

真ん中っ子の生き残りライフで大切なのは、全てのことが均等にできる、万能なバランス感覚である。

 

 

長子は初めての子ということで可愛がられ、末子はみんなから甘やかされて育つが、上にも下にもライバルがいる真ん中は、とかく親の愛情ポケットに入りがちで、自分が一番かわいがられたという記憶が薄い。

 

 

そのため、上に対しては下として、下に対しては上として振る舞いながら、親に振り向いてもらうために尋常ではない努力をしたりする。

 

 

わたしの場合は、真ん中っ子の中でも最も不憫な(とわたしは思っている)、姉と弟の間に挟まれた次女だった。

 

 

母親というのはやはり男の子がかわいいもので、そして初めての男の子ということもあり、末の弟はかなり優遇されていたなあという記憶がある。

 

 

わたしが朝起きても朝食を自分で用意しなければならないのに、弟のぶんは母が用意する、同じことをしても弟は怒られないなどは日常茶飯事で、早くから「お母さんにとっては弟が一番でわたしのことは二番目以降だ」という認識を持っていたように思う。

 

 

だからこそ、勉強もスポーツも人一倍がんばろうとし、事実姉弟のなかで一番結果を残してきたのだろうと思う。

 

 

あまり「不得意なこと」「人よりできなかったこと」というものの記憶がない。わたしの才能だったというよりは、死角を無くさなければ生き残れないという危機感からの努力癖から身に付けたものなのだろう。

 

 

 

 

起業家や総理大臣にも真ん中っ子が多い

 

 

 

 

 

また、家の中では居場所がないと感じるからか、外に居場所を作りたがり、独立心が高い傾向もあるという。

 

 

確かにわたしの場合は姉弟で一番早く家を出たし、親姉弟に黙って独立を考えたり、何をするにも自分一人で考えたがる傾向にある。家族に相談なんて絶対にしない。

 

 

知り合いの三人兄弟の次男君は、小学六年生ながら母親の仕事先に一人で来て、一人でサラリーマンに混じってカツ丼を食べるそうだ。

親と一番上のお兄ちゃんは陸上一筋だが、次男君は美術部で一人独自の道を進んでいるという。

 

 

また友達の三姉妹の真ん中の女の子は、人一倍結果にこだわる性格で、スポーツでも結果を残していつも部のリーダーになっていた。

 

 

そんなエピソードを聞くと、彼らも生き残りをかけて多大な努力をしてきたんだろうと同情してしまう。

 

 

独立心や人間関係におけるバランス感覚を活かし、起業家や総理大臣といったリーダーシップを発揮する職につくことも多いらしい。

 

 

ソフトバンク孫社長ユニクロの柳井会長、そして歴代総理大臣の7割は中間子だそうだ。

 

 

努力で道を切り開く中間子たち、なんて涙ぐましいんだ。

 

 

 

人からどう見られているか気になって仕方ない!

 

 

 

親の愛を十分に受けられなかったと感じる人は、いわゆるアダルトチルドレン

人からどう思われているかが必要以上に気になる傾向にあるらしいが、

同じ理屈で真ん中っ子はその傾向が強いらしい。

 

 

まるで十代の中高生のように他人が自分をどう思っているかが気になるし、

周囲の人間関係も気にかかる、些細な言動に一喜一憂してくよくよしがち。

 

 

これが「永遠の思春期」である。

 

 

人の目が気になる、気にならないというのは主観的な尺度ではあるが…

 

 

確かにわたしが心理学を勉強するきっかけになったのも人の目が気になる自分を

見つめなおそうとしたことだった。

 

 

自分らしく生きる、自分が一番として生きるという末っ子気質をここでは見習うべきかも知れない。

  

 

まとめ

 

 

この本が出たときに一番反響が大きかったのは中間子からだったという。

「よくぞ言ってくれた…!」「苦労をわかってくれてうれしい!」等の意見が

多かったそうだが、わたしも中間子代表として声を大にして御礼を言いたい。

 

 

常に人の顔色を伺うことは、しんどいことだ。

それも親の愛を一番に受けたかったから故のことだと思うと泣けてくる。

 

 

どうか真ん中っ子のみなさんは、そんな自分を「かわいいやつだ」と今日から認めてあげてほしい。

 

 

永遠に思春期でもいいじゃないか。

存分に青春を謳歌していこうとポジティブな筆者は思うのである。

 

 

 

いま、ここ、わたしを生きると決めよう。

起きたくもないときに起きるのって、人間だけじゃない?

 

うちにはかわいいかわいいキンクマハムスターがいるのだが、

彼女は昼間はもちろんずっと寝ています。

夜行性のはずなのに夜も寝ている。

起きるのはご飯を食べるときとおしっこをするときだけ。

だけどご飯は毎日もらえるしめちゃくちゃ愛されている。

 

 

対するわたしは毎朝目覚まし時計で6時前には起こされ、

秒単位で決められた電車に乗り、人に決められた期限の仕事を

決められたオフィスで淡々とこなしている。

たまに上司やお客さんに怒られる。

 

 

あぁ、ネコになりたい。

なんて一度でも思ったことがある人はサラリーマンの数とイコールなのではないだろうか。いつかだれか研究してほしい。

 

 

 

まじめに言われたとおりに生きてきたのに、なぜ自由じゃないんだろう?

 

 

自慢できるくらいには、わたしは小さいころからまじめだった。

いろんなことで成績を残したりもした。

 

 

でもなぜ今、こんなに苦しいのだろう。

 

 

なぜ自分で起きる時間も決められなくなっちゃったんだろう。

 

 

それはね、「まじめだから」苦しいのだよ。

 

 

大好きな自己啓発やスピ本を書いている先人たちはみんな言う。

 

 

うーん信じがたい。

 

 

なかなか行動できないし、相変わらず貯金残高は増えないままである。

そんなこんなでもんもんとしたまま、会社員になって3年が過ぎた。

 

 

でも、でも、でも……

 

 

わたしは、好きなときに仕事をして、

そして好きなときに起きる生活がしたいんじゃあーーーー!!!

 

 

それがまぎれもないやりたいことなのだと自覚。

 

 

そして先日、そうなることを自分自身に宣言。

 

 

まだ雇われの身であるし、身体は自由ではないけれども、

長年の勉強の成果で、こころの「ありかた」はだいぶ近づいてきたつもり。

 

 

数々の先人たちの助言をもとに、一念発起してブログを始めることにした。

まだ思考も経済的にも自由ではない「わたし」の記録たちは、

きっと未来のわたしにとって大きな財産になるだろうと思ったのが大きなきっかけ。

 

 

 

どんな「いま、ここ、わたし」も受け入れる

 

 

 

大木ゆきのさんの「宇宙におまかせ!」には、

「わたしはありのままで完全です」と毎日唱えること!と書かれている。

 

 

わたしはこのことが、完全に腑に落ちたわけではないけれど、

不完全な「いま、ここ、わたし」を生きることはわたしにもできると思った。

受け入れられない自分を受け入れて、記録していくことはできると思った。

 

 

そして、そう遠くない未来、

これが同じように自分が受け入れられない人たちの目に留まって、

自分をキラキラさせるためのきっかけになったら、

これ以上嬉しいことはない。