【すべての真ん中っ子たちへ】苦労してきたよね。感受性の豊かな、永遠の思春期
わたしは、少子化の現代には珍しい、3人姉弟の真ん中っ子生まれである。
最近流行りの兄弟別正確診断(五百田達成『不機嫌な長男・長女無責任な末っ子たち』)によると、長子は「責任感が強い永遠の王様」、末子は「ノリとしたたかさで生きるアイドル」、一人っ子は「変わり者でマイペースな帰国子女」、そして真ん中っ子は「複雑で繊細、感受性の強い永遠の思春期」だそうだ。
血液型占いしかり、こういった類いのものは、書いてあることに対して自分の都合のいいような記憶がひっぱりだされる傾向があるため、
あるある~と思うのは当たり前なのかもしれない。
まあそれを承知で、話半分で読んでほしい。
努力家で器用貧乏、悲しき子供時代
真ん中っ子の生き残りライフで大切なのは、全てのことが均等にできる、万能なバランス感覚である。
長子は初めての子ということで可愛がられ、末子はみんなから甘やかされて育つが、上にも下にもライバルがいる真ん中は、とかく親の愛情ポケットに入りがちで、自分が一番かわいがられたという記憶が薄い。
そのため、上に対しては下として、下に対しては上として振る舞いながら、親に振り向いてもらうために尋常ではない努力をしたりする。
わたしの場合は、真ん中っ子の中でも最も不憫な(とわたしは思っている)、姉と弟の間に挟まれた次女だった。
母親というのはやはり男の子がかわいいもので、そして初めての男の子ということもあり、末の弟はかなり優遇されていたなあという記憶がある。
わたしが朝起きても朝食を自分で用意しなければならないのに、弟のぶんは母が用意する、同じことをしても弟は怒られないなどは日常茶飯事で、早くから「お母さんにとっては弟が一番でわたしのことは二番目以降だ」という認識を持っていたように思う。
だからこそ、勉強もスポーツも人一倍がんばろうとし、事実姉弟のなかで一番結果を残してきたのだろうと思う。
あまり「不得意なこと」「人よりできなかったこと」というものの記憶がない。わたしの才能だったというよりは、死角を無くさなければ生き残れないという危機感からの努力癖から身に付けたものなのだろう。
起業家や総理大臣にも真ん中っ子が多い
また、家の中では居場所がないと感じるからか、外に居場所を作りたがり、独立心が高い傾向もあるという。
確かにわたしの場合は姉弟で一番早く家を出たし、親姉弟に黙って独立を考えたり、何をするにも自分一人で考えたがる傾向にある。家族に相談なんて絶対にしない。
知り合いの三人兄弟の次男君は、小学六年生ながら母親の仕事先に一人で来て、一人でサラリーマンに混じってカツ丼を食べるそうだ。
親と一番上のお兄ちゃんは陸上一筋だが、次男君は美術部で一人独自の道を進んでいるという。
また友達の三姉妹の真ん中の女の子は、人一倍結果にこだわる性格で、スポーツでも結果を残していつも部のリーダーになっていた。
そんなエピソードを聞くと、彼らも生き残りをかけて多大な努力をしてきたんだろうと同情してしまう。
独立心や人間関係におけるバランス感覚を活かし、起業家や総理大臣といったリーダーシップを発揮する職につくことも多いらしい。
ソフトバンクの孫社長、ユニクロの柳井会長、そして歴代総理大臣の7割は中間子だそうだ。
努力で道を切り開く中間子たち、なんて涙ぐましいんだ。
人からどう見られているか気になって仕方ない!
親の愛を十分に受けられなかったと感じる人は、いわゆるアダルトチルドレンで
人からどう思われているかが必要以上に気になる傾向にあるらしいが、
同じ理屈で真ん中っ子はその傾向が強いらしい。
まるで十代の中高生のように他人が自分をどう思っているかが気になるし、
周囲の人間関係も気にかかる、些細な言動に一喜一憂してくよくよしがち。
これが「永遠の思春期」である。
人の目が気になる、気にならないというのは主観的な尺度ではあるが…
確かにわたしが心理学を勉強するきっかけになったのも人の目が気になる自分を
見つめなおそうとしたことだった。
自分らしく生きる、自分が一番として生きるという末っ子気質をここでは見習うべきかも知れない。
まとめ
この本が出たときに一番反響が大きかったのは中間子からだったという。
「よくぞ言ってくれた…!」「苦労をわかってくれてうれしい!」等の意見が
多かったそうだが、わたしも中間子代表として声を大にして御礼を言いたい。
常に人の顔色を伺うことは、しんどいことだ。
それも親の愛を一番に受けたかったから故のことだと思うと泣けてくる。
どうか真ん中っ子のみなさんは、そんな自分を「かわいいやつだ」と今日から認めてあげてほしい。
永遠に思春期でもいいじゃないか。
存分に青春を謳歌していこうとポジティブな筆者は思うのである。